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訳:山形浩生
デザインと科学
デザインは科学を進歩させられるだろうか、そして科学はデザインを進歩させられるだろうか?
Joichi Ito
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ネリ・オックスマン教授による創造性のクレブスサイクル だと、デザインと科学は円の対極に位置している。そして工学とデザインや科学と工学との関係でありがちなのとはちがい、片方の出力がもう片方の入力になったりはしていない。ぼくは「レンズ」を作ってデザインと科学の融合を行うことで、どちらも大幅に進歩させられると思う。このつながりは、デザインの科学と科学のデザインの両方を含むし、また両活動のダイナミックな関係も含んでいる。
前にも書いたように[1]、2011年にメディアラボにやってきて最初に学んだ言葉の一つが「脱専門性 (antidisciplinary)」だった。これは新しい教職員募集の公告で、要件として挙がっていたもののだ。学際(専門分野をまたがる)研究というのは、ちがう分野の人々が共同で作業をすることだ。でも脱専門性というのはまったくちがう。それは既存の学問分野にまるでおさまらない領域で仕事をするということだ――これは独自の用語、枠組、手法を持った、明確な研究分野となる。
ぼくにとって、脱専門研究は数学者スタニスワフ・ウラムの有名な主張にも似たものだ。かれは、非線形物理学の研究というのは「非ゾウ動物」の研究のようなものだと述べた。
ぼくは、デザインと科学をあわせることで、脱専門的なやり方で科学を探究、理解、発展させるための、厳密ながら柔軟なアプローチが生み出せると思っている。
多くの点で、サイバネティクス運動[2]はここでやろうとしていることのモデルだ――新技術のコンバージェンスを実現することで、既存分野を横断する新しい動きを作り出す。でもそれは警告にもなる。サイバネティクスは過剰は形式化と「分野化」によって断片化してしまった。スチュワート・ブランドが最近指摘したように、サイバネティクスはますます鈍重でアカデミックとなり、成熟するにつれて「退屈のあまり死んでしまった」。厳密でありつつも、夢中にさせるようなもの、単に生き延びるための脱専門ではなく、活発に栄えるための脱専門性が設計できるのではないか?
メディアラボで求めている学者というのは、伝統的な分野の谷間にいるか、あるいはそんなものを超越しているから既存分野にあてはまらないような人々だ。他の研究室や学部でやりたいことができるなら、そっちに言った方がいいよ、とぼくはよく言っている。メディアラボにくるのは、他に行き場がない人だけにしてほしい。ぼくたちは新しい落選展なのだ。
ぼくたちの作り出した「空間」について、ぼくとしては「あらゆる科学」をあらわす巨大な紙を考えたい。各種の学問分野はこの紙の上の小さな黒い点だ。その点の間の莫大な白い空間が、脱専門空間だ。この白い空間で遊びたい人はたくさんいるけれど、ほとんど資金がつかないし、黒い点のどれかに分野としてのアンカーがないと、終身教授職を手に入れるのはもっとむずかしい。
さらに、伝統的な分野のアプローチだと、多くのおもしろい問題――さらには「ヤバイ問題」――はますます取り組みづらくなっているようだ。人体の複雑性を解きほぐすというのがその絶好の例だ。急速なブレークスルーを実現する最大の可能性は、共同的な「一つの科学」を通じてのものだ。ところがぼくたちは、「多くの科学」から先に進めないようだ――実に多くの学問分野が複雑なモザイクとなっているおかげで、用語もちがうし注目するための顕微鏡の設定もあまりにちがうから、同じ問題を見ていてもそれに気がつかない。
資金と人々が既存分野にばかり注目しているので、独自の貢献を行うために必要な努力もリソースもますます大きくなる。既存分野の間やその先にある空間は学術的にはリスクが高井けれど、競争は少ないことが多い。有望で型破りなアプローチを試すリソースも少なくてすむ。そしてまだうまくつながっていない学問分野の間につながりを解き放つことで、すさまじい影響力を持つ可能性もある。インターネットと計算費用やプロトタイピングや製造の費用逓減のおかげで、研究の費用の多くも逓減している。
脱専門の前史:サイバネティクス
インターネットとムーアの法則で、新技術やツールの費用が下がっているために脱専門的な研究はますます容易になりつつあるけれど、これは決して新しい発想ではない。
費用低下はそれほどでもなかったけれど、新しい可能性を拓く技術とツールが大量に出てきたことで、1940年代と1950年代には似たような運動が起こり、各種の分野が収斂し始めていた。弾道ミサイル制御などの応用から、生物システムが運動をどう制御しているかの理解といった研究が、エンジニア、デザイナー、科学者、数学者、社会学者、哲学者、言語学者、心理学者など、各種分野の思考家たちを一堂に集めて、複雑なシステムの理解と設計のためにシステムやフィードバックループを理解しようとする動きをもたらした。この種の学際的なシステム研究は「サイバネティクス」と呼ばれた。
サイバネティクスと聞くと、まず頭に浮かぶのは、数学者兼哲学者ノーバート・ウィーナーとその著書『サイバネティクス:動物と機械における制御と通信』だ。でも「一次サイバネティクス」の大半はエンジニアの領域にあるものがきわめて多かった(一次サイバネティクスというのは、システムの制御調整にフィードバックシステムやフィードバックループを使うやり方で、二次サイバネティクスはもっと自律適応型の複雑なシステムや、制御できないシステムやきわめて複雑なシステムについての話だった) あまり注目はされなかったけれど、サイバネティクスには多くの哲学者、社会学者や文化人も関与していた。ハインツ・フォン=フォレスター、グレゴリー・ベイトソン、マーガレット・ミード、ゴードン・パスク、スチュワート・ブランドなどで[3]、かれらは二次サイバネ ティクスにもっと関わっていた。[4]
一部の人は二次サイバネティクスを、一次システムのコミュニティと呼んだ。二次サイバネティクスは客観的な観察者/デザイナーよりは、参加型の観察者が重要だった。たとえば一次サイバネティクスシステムは、サーモスタットだ。二次システムは地球の生態系だ。エンジニアはサーモスタットを設計するとき、自分に理解、制御できる対象として扱い、会話できる利用者のためのものとして設計する。でも生態系はぼくたちが参加者として中で暮らすもので、制御できないし、ぼくたちの行動に適応する。そして複雑性と、そんな複雑系の制御は不可能だということ以上に、人間をシステムに持ち込むことで、二次サイバネティクスは「客観性」から「主観性」への移行以上のものとなり、自分が何に注目して何を重視するかについて、参加者たちに責任を負わせるようになる。そして「サイバネティクスが理論なら、その行動はデザイン/設計だ」(ラヌルフ・グランヴィル)――というのもぼくたちは自分の設計するものに責任を負うからだ。
サイバネティクスの起源とその系譜の多くはMITに流れるものだけれど、1985年にメディアラボが創設された頃には、活発なサイバネティクス運動は各種の応用分野へと消失してしまった。でもその痕跡は残っている。設計/デザイン、特に「デザイン思考」が生まれ、今日でもそれに触れた各種分野を横断する実践的慣行として生き残っている。
進化するデザイン
デザインという言葉は、多くの人が「なんでも用語」と呼ぶものになっている。あまりに多くの意味を持つので、ほとんど何の意味も持たない。ほとんどどんなものでも「デザイン」と呼べる。その一方で、デザインは多くの重要なアイデアや慣行を包含するので、デザインという文脈で科学の未来を考える――同時に科学という文脈でデザインを考える――のは興味深くて有益な検討になる。
デザインはまた、物理的および非物質的な対象のデザインから、システムのデザインへ、そして複雑な適応システムのデザインへと進化した。この進化はデザイナー/設計者の役割をシフトさせつつある。もはやデザイナー/設計者は中央計画者ではなく、自分たちが中にいるシステムの参加者だ。これは根本的なシフトだ――そしてそれは新しい価値観を必要とする。
今日では、多くのデザイナー/設計者たちは企業や政府に勤めて、製品やシステムの開発を行い、社会が効率的に動くことを念頭においている。でもこうした活動の範囲は、企業や政府のニーズを越えたシステムを含むようには設計されていないし、またそれを気にするようにも設計されていない。ぼくたちは、システムの境界が以前ほど明確でない時代に入りつつある。こうしたあまり注目されないシステム、たとえば微生物システムや環境システムはこのため不当に扱われ、いまだにデザイナー/設計者にとって大きな課題を投げかけている。こうしたシステムは自己適応型の複雑系ではあるけれど、ぼくたちが意図せずしてそれに与える影響は、意図せざるマイナスの影響をぼくたちに与える可能性がとても高い。
MIT教授ネリ・オックスマンとメージン・ユーンは「尺度(スケール)をまたがるデザイン」という人気ある講義を教えている。微生物から天文学規模に到る様々な尺度での設計/デザインを論じる講義だ。複雑自律システムの結果をデザイナー/設計者や科学者たちが予測するのは不可能だし、ましてあらゆる尺度でそれをやるのは無理だけれど、そうしたシステムを認識し、理解し、それぞれのシステムに対するぼくたちの介入すべてについて責任を持つことはできる。また「参加者」としてのぼくたちは、自分たちが含まれているシステムを認識して、絶えずそれに気を配り続けることで、自分のレンズを認識してそれをすべて活用し、そうした尺度のすべてで関与できる。これは結果を完全には制御できないデザインにずっと近いものだ――ロボットや車の設計よりは、子供を作ってその発達に影響を及ぼすのに近い。
こうした設計/デザインの一例が、MIT教授ケヴィン・エスヴェルトの研究で、かれは自分を進化彫刻家だと述べる。かれはライム病を運ぶネズミやマラリアを運ぶ蚊といった生物の個体群の遺伝子を編集し、それらがこうした病原体に抵抗力を持つようにする手法を研究している。その具体的な技術――CRISPR遺伝子ドライブ――はキャリア生物が野生に放たれると、その子孫や子孫の子孫などその後ずっと同じ操作遺伝子を受けつぐようになる種類の遺伝子操作だ。これを使えば、基本的にはマラリア、ライム病など、各種のベクトル媒介や寄生虫病を根絶できる。重要な点として、この遺伝子操作はある生命体の個体ではなく、個体群全体に埋め込まれるものだ。だからエスヴェルトの関心は遺伝子操作や個別の生命体ではなく、生態系全体だ――そこにはぼくたちの健康システム、生命圏、社会と、それがこうした介入について考える能力も含まれる。はっきりさせておこう。ここで目新しい点の一部は、あるデザイン/設計がそれに関わるあらゆるシステムに及ぼす影響を考えているという点なのだ。
人工的なものの死
過去には、人工的なものと有機的なものとの間には明確な区別があったけれど、いまや自然と人工は融合しつつあるようだ。
サイバネティクス運動が始まったとき、科学と工学の関心は弾道ミサイルの誘導とか、オフィスの温度調整といったことだった。こうした問題ははっきりと人造物の領域にあり、十分に単純なので伝統的な「分割して征服」式の科学的探究が適用できた。
でも今日の科学とエンジニアリングは、合成生物学や人工知能といったものを扱っている。ここでは問題がすさまじく複雑だ。こうした問題は、ぼくたちが人工的なものの領域に留まる能力を超えており、それを既存の分野に切り分けるのはほとんど不可能だ。ますます「自然」の領域を直接設計してそこに導入できるようになってきたし、多くの点で自然を「デザイン/設計」できるようになってきたことに気がつきつつある。合成生物学は明らかに、完全に自然に埋め込まれているし、「自然を編集」できるようにするのがこの分野だ。それでも、デジタルと自然が対決する領域にいる人工知能ですら、脳研究との関係が単なる比喩的なものにとどまらない段階にまで発展している。ぼくたちは、現代科学の世界である複雑性と不可知性(ぼくたちの既存のツールでは知り得ないという意味で)を導くのに、ますます自然に頼らざるを得ないようだ。
サイバネティクスが止まったところから出発し、現代デザインの発展を科学の未来に向け直すことで、ぼくたちは新しい種類のデザインと新しい種類の科学が台頭するかもしれないと思っている。いや、すでに台頭しつつあるかもしれない。
学術的な慣行の見直し
MITx と edX はいまや講義、知識、技能を世界中の学生たちに対し組織だった形で提供することで世界を支援している。MITプレス、メディアラボ、MIT図書館は学術的なやりとりと協働の新しいモデルを構築し、知的言説を隔てている不自然な障壁を破壊することで、並列的な役割を果たせる。ぼくたちが考えているのは、アイデア交換の仕組みを創り、既存分野の間とそれを越えたところにある脱専門的な空間で作業をしている人々が、予想外のエキサイティングな形で集まり、既存のアカデミズムのサイロに挑めるようにすることだ。ぼくたちの狙いは、学者だけでなくあらゆる人が集まって、21世紀のための新しいプラットフォームを作るよう奨励するような新しい場の創設だ。新しい場、新しい考え方、新しいやり方。
学術界の相当部分は、高名な査読誌への論文発表を中心に動いている。査読は通常、その分野の影響力ある学者たちが投稿をレビューし、それが重要で独創的かを判断する、というものだ。このアーキテクチャはしばしば、研究者たちがリスクの高い非伝統的なアプローチをするよりも、自分野の少数の専門家に対して自分の研究の価値を証明するほうに専念するという力学につながりがちだ。この力学は、学者についての常套句を強化するものとなる。
その常套句は、学者というのはますます多くのことをますます少ないことについて学ぶ存在だ、というものだ。これは極端な専門化を招き、おかげで各種分野の人々は他の領域の人々ときわめて共同研究しにくい――それどころか話もできない――ことになる。
査読学術誌は、インターネット以前には科学知識構築のとても重要な仕組みだった。でも多くの点で、それはむしろ足枷になっているかもしれない。スチュワート・ブランドは学術論文を「我々はこのテーマを死ぬほど考えてここに埋葬した」と書かれた墓石になぞらえている[5]。現代の最も火急で最もおもしろい問題に取り組むため、構造化され形式化された査読システムに対比される、オープンで協働的な相互作用モデルを持つ、新しい脱専門的な雑誌を、試行錯誤的に設計することを提案したい。そしてそれ自体を一つの実験としよう。
多くの研究ラボはある特定分野に注力するけれど、長期にわたり最先端でいるのはむずかしい。でもメディアラボは30年も生き延びて、しかも最先端であり続けて情熱も失っていない。なぜだろう?ぼくは、メディアラボの関心が考え方や物事のやり方にあって、ある研究分野や特定言語にあるのではないからだと思う。重要なのは、もっとよいデザイン/設計システムの開発や、導入と影響行使のもっとよい理論の開発なのだとぼくは信じている。
参加型デザイナー/設計者として、ぼくたちは世界を変えるために自分たちを変え、自分たちのやり方を変えることに注目する。この新しい視点から、ぼくたちは既存の学術システムにうまくあてはまらない、きわめて重要な問題にも取り組める。他人のシステムをデザインする代わりに、ぼくたちは自分自身の考え方や働き方をデザインしなおし、自分自身に影響を与えることで世界に影響を与えるのだ。[6] [7]

References

[1]"脱専門性について". Joi Ito's Web. (2014): [http://joi.ito.com/jp/archives/2014/10/02/005560.html]
[2]サイバネティクスとぼくたちが進めている反分野プロセスとの間には類似点も多いけれど、これはぼくたちが影響を受けてつながりを感じている学際/反分野運動の一つでしかない。他の運動としてはバウハウス、ブラックマウンテンッカレッジ、メタボリズム運動などがある。
[4]"How cybernetics connects computing, counterculture, and design". Hippie modernism: The struggle for utopia. Walker Art Center, Minneapolis MN. (2015): 1-12.
[5]この文がちょっと学術論文じみているというアイロニーは十分に承知しているけれど、これは一種のウィルス的遺伝子治療みたいなもので、免疫反応を引き起こさずに学術システムの膜を貫通し、内部から宿主システムを改変するよう設計されているわけだ。
[6]非双対性 (Non-duality) は、「我々はみな一つ」という古来の概念だ。双対性は、何か客観的な観察者、または「自己」がいるという発想だ。この主体と客体との関係と、ぼくたちが「いまここにいる」ことができるという発想との関係は、観察者が自分自身を観察しようとする問題に対する霊的な解決法となる。思考について思考することで思考を理解しようとするのはとてもむずかしけれど、シーモア・パパートが述べたように「思考について真面目に思考したいなら、何かについて思考することについて思考するしかないよ」
[7]だからといって、身の回りの世界に介入をしないとか、外部からモノを導入しないとかいうわけじゃない。ぼくが言いたいのは、この雑誌やこの新しいデザイン/設計プロセスはぼくたちが自分自身に適用し、自分自身のツールとして発達させるべきであり、それを他人に「売り込む」ことを試みたりそうすべきだと思ったりするようなものじゃなくて、喜んでみんなと共有すべきだということだ。
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Ryusei Yamaguchi 3/27/2016
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suitcase wordに関して原文にリファレンスが追加されています。(かばん語 portmanteau ではないようです。)
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Hiroo Yamagata 9/8/2016
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tnx!
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Kiyoshi Ogawa 3/18/2016
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山形浩生さん。翻訳ありがとうございます。非双対性、双対性は、対象・認識・表現という構造で理解するとわかりやすい。相似についての言及があると嬉しい。
ArchivedComment by Bhairavi Parikh1 point