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簿記と会計の再発明 (確実性を求めて)

Published onOct 13, 2017
簿記と会計の再発明 (確実性を求めて)

*山形浩生訳.*複式簿記が現代のような形で導入されたのは 1300年代のことだ。その後、細かいイノベーションはあったものの、価値を追跡して管理する際の根本的な原子単位――会計制度――はいまだにこの700年前の発明に基づいている。今日のコンピュータ、ネットワーク、暗号技術を使えば、21世紀のための会計システムを構築する機会がいまや目の前にある——そのシステムは、簿記の数字の奥を見据えて、機械学習やマルチパーティー計算、アルゴリズム的な表現を使った「価値」の再定義などを活用できる。これを邪魔するものはあるだろうか?


会計は金融、ビジネスの根底にあり、軍隊を作ったり都市を建設したり、大規模なリソース管理したりといった活動を可能にする。実際、会計こそまさに世界が価値あるもののほとんどを追跡管理する手法だ。

会計はお金より昔からあり、もともと古代コミュニティが限られたリソースの追跡と管理に使っていた。7,000年以上も前のメソポタミアに会計記録があって、物々交換を記録している。時代とともに、会計は取引の言語となり、情報インフラとなった。会計と監査は、エジプトやローマのような大帝国の建設も可能にした。

会計が拡大するにつれて、羊だの穀物の山だの材木の束だのを数えるだけでなく、リソースの計算と管理にあたって、その交換価値を使いお金という抽象的な単位に基づいて計算するほうが、筋が通るようになった。交換だけでなく、お金は支払い義務の記録や管理も可能にした。だから初期の簿記は、個人同士の約束や取引を記録しただけだったけれど(アリスはボブに某月某日に羊を貸しました)、お金はアカウントの管理を大幅に簡略化し、市場、企業、政府のスケーリングを可能にすることで、新しい会計の世界を切り拓いたのだった。でも、何世紀も経るうちに、かつては強力だったこの簡略化が、驚くような欠点をもたらすことになった——そしてこの欠点は、現代のデジタル接続世界で拍車がかかっている。

価値を定義する

今日の企業は、ERPシステム(企業リソース計画システム)を使って、各種のモノや契約や従業員を追跡する。でも会計システム——そしてそれを要求する法律——は、とにかくあらゆるものを金銭価値に変換するように要求し、それを700年前の複式簿記手法 (日本語版)に基づく簿記システムに入力させる。これは13世紀のフィレンツェ商人たちが使ったのとまったく同じ方式で、「会計学の父」ルカ・パチョーリが1494年の著書 Summa de Arithmetica, Geometria, Proportioni et Proportionalità (算術・幾何・比及び比例全書) で説明したものでもある。

たとえば、明日雨が降ったら100万ドルもらう契約を結んで、それを帳簿につけるとする。この場合、明日雨が降る確率を推測する——まあ50パーセントとでもしようか——そしてこの資産の価額を、50万ドルとかで評価する。この契約は、実際には50万ドルを支払ったりすることは絶対にない。最終的には、それは価値ゼロ(雨が降らない)か、100万ドルか(雨が降る)のどっちかだ。でもこの契約をどうしても今日売ることになったら、たぶん50万ドルに近い金額で売るだろう。だから課税と管理のために、この契約の価値を50万ドルで「評価」することになる。一方、買い手がいなくてこれを売れない場合、規制当局はこれを価値ゼロと評価することもある。でも、明日雨が降れば、それがいきなり100万ドルの評価額となってしまう。

基本的に、企業の会計は各種帳簿のセルの総和で、そのセルには何らかの通貨——円、ドル、ユーロ等——をもとにした何らかの数値が入っている。そしてその数字が足し上げられ、まとめられ、それがバランスシート(貸借対照表)とPL(損益計算書)に入り、それが経営陣や投資家に対してその企業の健全性を示す。また利潤の計算と、政府に支払うべき税額の計算にも使われる。このバランスシートは資産と負債の一覧だ。資産側を見ると、印刷機や各種ソフトのコード、知的財産、他人への貸し(その人たちがきちんと払ってくれるかどうかは神のみぞ知る)、各国通貨建ての現金、商品の将来価値だの別の会社の価値だのに関する精一杯の推測なあど、価値があるとされる報告対象が、一覧になっている。

監査人、投資家、取引相手としては、いろいろ突っ込みを入れて、その企業がどんな想定をしているのか、その想定が計上時点でまちがっていたらどうなるか、あるいは将来のどこかで想定がずれてきたらどうなるかを調べたいこともある。また他の会社を買ったら、自分の支払い義務や賭けが、買おうとしている会社の支払い義務や賭けとどういう具合に相互作用するかを理解したいだろう。あれやこれやの想定の「根っこにたどりつく」ためには、監査人に何百万ドルも支払うはめになるかもしれない。その方法は、各種の法的契約を手で調べ、あらゆるスプレッドシートのあらゆるセルに入っている想定を見直すというこのだ。というのも標準的な会計は、とても「ロスの多い」やり方で、複雑で文脈に依存する関数を還元し、あらゆる段階ごとに静的な数字に変えてしまうからだ。その根底にある情報はどこかにはある。でもそれを掘り出すには、手作業が大量にかかる。

現代の複雑な金融システムは、投資家や当の企業が、まちがった想定をやったのを推測する方法を考案した企業だらけだ。こうした企業は、不正確な値づけをされた企業の逆張りをしたり、情報ギャップを利用して、それを自分たちの金銭的な儲けに変える。こうしたまちがいがシステムの至るところで繰り返されると、それは変動の増幅を引き起こし、市場が上がるときだけでなく下がる時にも、そうした変動をうまく予想できれば企業が儲けられるようになる。実際、このシステムがすべて崩壊しなければ、賢いトレーダーたちは安定性よりは変動で大儲けするわけだ。

ネズミ駆除業者たちは、ネズミが完全に根絶されるのをありがたいとは思わない。そうなったら自分たちが失業してしまうからだ。それと同じで、「システムをもっと効率的にして無駄をなくす」ことで儲けている金融機関は、本当は無駄のない安定したシステムなんか求めていない。

Houghton & Byrne, pest exterminators (9/7/1937)

いまの金融システムの技術は、紙とペンしかなかった時代に設計された、お金と価値に関する考え方に基づいている。その時代には、システムを機能的に効率の高いものとするためには、依存関係や約束の網の目が持つ複雑性を還元するしか方法がなかった。複雑製を還元する方法は、共通の値づけ手法を使い、要素を分類して、それを足し上げることだ。これは700年前の材料をもとにしたもので、システムを「改善」というのもパターンや情報についての高度な分析をしつつ、その根っこにあるロスの多い、単純化しすぎた世界観という問題には手をつけようとしない。その世界観では、「価値」あるものはすべて、即座に数字として計上されるべきだとされる。

「価値」の標準的な発想は、還元主義的な世界の見方だ。これは、多くの人々にとってだいたい同じ価値を持つ、商品取引のスケーリングには有益な見方だ。でも実は、ほとんどのものは人と場合によって、価値が大きく変動する。ぼくとしては、価値あるものの多く——いやほとんど——はスプレッドシートの数字には還元できないし、また還元すべきでもないと言いたい。金融的な「価値」はとても限られた意味を持つ。家は、人がそこに住めるし、役に立つので、明らかに「価値」を持つ。でも、だれもその家を買いたがらず、市場に出ている似たような家をだれも買っていないなら、それに値段をつけられない。流動性がなうその「公正な市場価値」を決めるのは不可能だ。一部の契約や金融商品は譲渡禁止で、「公正な市場価値」など持たず、今すぐお金 (またはリンゴ)が必要になったときにはまったく無価値かもしれない。混乱の一部は、法的・数学的な考え方を日常言語で説明するのがむずかしいせいもあるし、また文脈とタイミングの果たす役割もある。

その一例が為替レートだ。妻は日本からボストンに引っ越してもう数年たつけれど、いまでも値段を円に換算して考える。ときどき、円の価値が下落したせいで何かがずいぶん値上がりした、と述べる。我が家の収入も支出もほとんどがドル建てだから、もう円建ての「価値」は関係ないんだよ、というのをぼくはしょっちゅう忠告するはめになる。もちろんそれは、日本にいる義理の母にとっては関係なくはないけれど。

人々は、物事には「値段」があってその「値段」は「価値」と同じだという発想に慣れてしまった。でもぼくたちの会話についてどう感じたかをあなたがメールで送ってくれたら、それはある時点ではぼくにとって価値があるだろうけれど、おそらく他の人には無価値だ。リンゴ1つは、リンゴの果樹園の持ち主よりはお腹の空いた人にとってずっと大きな価値を持つ。すべては文脈次第だ。

Can't Buy Me Love The Beatles

消費者たちが金融判断をするとき、幸福の一種の代理指標として「効用」を最大化するという経済学的な発想も、普遍的な「価値」の仕組みがその複雑性を単純化しすぎる例だ——それがあまりにひどいので、人間が市場で「経済的に合理的な」アクターだと想定するモデルはまるで機能しない。このモデルのいちばん単純なバージョンでは、持っているお金が多ければ多いほど幸せになるはずだ。ダニエル・カーネマンとアンガス・ディートンによれば、これは年収7,500ドルくらいまでしか当てはまらないそうだ[1]。

今日では、現在のシステムが回避するように設計された多くの複雑性を維持し、扱えるような会計システムを構築するだけの技術と計算力がある。たとえば、帳簿に計上されるのがすべて数字でなくてもいいはずだ。それぞれのセルは、それが表す支払い義務や依存関係のアルゴリズム的な表現であってもいい。実際、機械学習を使えば、アカウントは周辺の状況が変わるにつれて起こることに関する、高度な確率モデルにもできるはずだ。するとあらゆるシステムの「価値」は、だれが尋ねているのか、その居場所、時間パラメータ次第で変わることになる。

いまだと銀行規制当局がストレステストを実施するとき、銀行に対して債券市場の変化や一部のものの価格変動といった、シナリオを渡す。すると銀行は、そのシナリオで破綻するか、支払い能力が維持できるかについて報告を出すことになっている。アカウントをあれこれ調べてシミュレーションをするので、これはずいぶん人手がかかる。でももしアカウントがすべてアルゴリズム的になっていたらどうだろう。即座にプログラムを走らせて、この問題への答が得られる。もっと重要な問題、つまり「この銀行を本当に破綻させるには、どんな市場の変化群が必要だろうか、そしてその理由は?」というものに答えられる学習モデルがあったらどうだろう。ぼくたちが本当に知りたいのはそういうことだ。これを1つの銀行についてだけでなく、銀行システムすべて、投資家も含め、相互作用するすべてについて知りたい。

どこかの会社から何かを買うとき——たとえば あなたの会社AIGからクレジット・デフォルト・スワップを買うなら——知りたいのは、その支払い義務額を支払う期日がやってきたとき、ぼくが逆張りしていたAA格の住宅ローン債券がデフォルトしたとして、あなたの会社がちゃんと支払えるか、ということだ。現時点では、これを調べるのは容易なことではない。でも、もしすべての支払い義務や契約が、紙に書かれて数字として記録される代わりに、実際に計算できて「目に見える」ものだったらどうだろう?あなたがぼくに支払わなければならないこのシナリオの場合、実はあなたは似たような契約をあまりに多くの人を相手にかわしているので、破産して支払い能力なんかなくなることがわかる。現時点では、当の銀行自身ですら内部監査人が事前に探ろうと思わない限り、これが自分でわかっていないのだ。

会計の根本を考え直す

ゼロ知識証明やセキュアマルチパーティ計算といった最新の暗号学を使えば、事業や個人のプライバシーを犠牲にしなくてもこうしたアカウントを公開しておける。巨大なアカウントの集合で、あらゆる契約をセルにしておいて、だれかが何かを尋ねたらそれを全部計算しなおすというのは、今日の計算能力さえ超えてしまうかもしれない。でも機械学習とモデル構築で、変動のすさまじい増幅は、安定化はできなくても、それを抑えることはできるかもしれない。こうしたバブルとその崩壊が今日起きるのは、ぼくたちがシステム全体を単純化しすぎた砂上の楼閣の上に構築しているからで、しかもそれを扱う人々は、後で利用して私腹を肥やすために非効率性を導入するため、不安定で不透明にしておくインセンティブがある。

現在のビットコインや分散帳簿に関する興奮は、その柔軟性を再プログラミング可能な性質の活用につながる大きな機会を作り出していると思う。これにより、会計の根本的な仕組みを見直せる。ぼくは、銀行向けアプリだの、金融の新しい考え方だのよりは、おこっちのほうにずっと興味がある。銀行や金融向けの応用は、いくつかの症状に対処はしても、13世紀フィレンツェ商人たちが使っていたのとまったく同じ、700年前の複式簿記手法の上に構築した、とんでもなく複雑で古くさい仕組みという根本原因の一つを解消する試みはまったく行わないからだ。虚数を使うべきところで整数しか使っていないような感じだ。会計の再発明は、アルゴリズムのちょっとしたテコ入れ(過去数百年にぼくたちがやってきたのはそれだと思う)なんかではなく、新しい数論の発見のようであるべきだと思うのだ。

Citations:

[1]Kahneman, D. and Deaton, A. High Income Improves Evaluation of Life But Not Emotional Well-Being. Proceedings of the National Academy of Sciences.

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